複雑さを生きる

複雑さを生きる―やわらかな制御
先日のBBQバーティでお会いした安冨さんの本を読み終えた。
安冨歩複雑さを生きる やわらかな制御」(岩波書店 2006)
はじめの方は、正直なにを言っているのかわからず、少々斜め読みですっとばしていったが、「第3章 やわらかな制御」「第4章 動的な戦略」あたりはよくわかったような気がした。複雑な系、つまり多数の要素の相互作用からなるシステムでは、あらかじめ計画を立ててコントロールするのはほとんど不可能である、ということで、それは生産工程でも社会問題でも戦争でも同じである、ということ。たかがロボットを二足歩行させるだけでも、その制御システムを作り上げるのにずいぶん苦労してきたことがそのいい例であるという。じゃ、そうした複雑系に対処するにはどうしたらいいのか、という所に関してはおぼろげな理解しかできていないのだが、システムの外から目標を立てたり指図したりするのではなく、中に入って相互作用する要素の一部になり、そこから創発的に発生する「なにか」(上位コンテクスト、とか書かれているが)によってやわらかに制御するのがいい、ということらしい。こう書くとまるっきりわかっていないみたいだが、自分の中ではなんとなくはわかっているんだけど。
読みながら考えていたことが二つ。ひとつは、アメリカンフットボールなどの団体球技で本当に強くなるためには、この本で言う「動的な戦略」が必要だということ。もちろん基本は、いろいろなフォーメーションを考え、パターンを覚え、正確に遂行することがあるのだと思うが、あらかじめ決められたパターンだけでは分析されたら終わりだし、すべてのケースを想定して準備することなどできはしない。一切のパターンを持たない、というわけにはいかないだろうけど、柔軟に戦うためには既定のパターンを超えて、ひとつ上のレベルに達することで最強になるのだろうと思う。
もうひとつは、保全生態学でしきりに使われる、生態系の「順応的管理」という考え方。多数の生物が複雑に関与している自然界の生態系では、そもそもどう操作すればどう反応するかという予測をすることがほとんど不可能だという認識を多くの生態学者が持っている。たとえば破壊された生態系を修復しようというときに、ここをこうすればこうなるだろう、ということはおおざっぱにしか予定できない。そのような生態系を管理するには、あらかじめ長期計画を立ててから実行するのではなく、やってみて、反応を見て、次の手を調整して、ということを繰り返すしかない。それが順応的管理だ。これこそこの本で言っていることではないかな、と思う。
この本では、個人的な人間関係から社会問題、戦争、市場、などあらゆる話を複雑系の視点でひとつながりにして見せていて、その縦横無尽な感じはとてもおもしろいのだけど、「で、どうしたらいいの?」という思いには十分答えてはいない。というか、そんな答えがあるわけもないのだ。でも、なんとなく新しいきっかけをつかめそうな気にはしてくれる。それが大事だ。