野菜工場

大阪府立大に作られた野菜工場(植物工場研究センター)を見学させてもらった。


野菜工場、最近あちこちで作られているが、電気を大量に消費するし環境負荷高くっていまどきダメでしょう、と単純に思っていた。しかし、そうとは限らないようだということを学ぶことができた。


電気はいろいろな方法で得ることができる。実際この工場にも、屋上に太陽光パネルが設置されており、プラントを動かすのに必要な電気はほぼ全量まかなえるらしい(蓄電はしていないので実際には昼間売電して夜は買電している)。中で使われる電気の量は技術次第でどんどん削減されているから、電気を使うということだけで批判することはできない。

目から鱗だったのは、水の使用量が極限まで減らせること。農作物の栽培は多大な水を使用するものであり、輸入農産物のバーチャルウォーターなどが話題になったりするように、世界的にみると淡水の枯渇がこれから農業にとって深刻な問題になる。野菜工場では水を循環的に使用できるので、外での栽培とは比べ物にならないほど少量で済む。今の日本では水の使用量を削減しなければならない理由はないが、水の希少な世界各地でならきわめて有力な栽培方法であろう。

通常農業と比較するとき、つい私たちは、既存の畑で作るのと工場を建てて作るのを比較してしまう。しかし、工場設備はいわば農地のインフラ整備にあたる。荒れ地を開墾し、圃場整備し、水路を整備する、といったインフラ整備の部分はふつう公共事業として行われるので、その費用や環境影響はその後行われる農業の外部のものとされる。つまりインフラ整備にかかった費用などはそこで作られる野菜の値段には上乗せされない。しかし野菜工場であれば、初期の莫大な設備投資は野菜の値段に上乗せされるので、当然値段が高くなる。環境負荷についても同じであろう。そうすると、普通に販売される値段を比較したり、作るのに必要な資源・エネルギー量を単純に比較するのは、不当な比較なのかもしれない。

そんなことを教わって、野菜工場を見る目がかなり変わったのは収穫であった。一方で、土から離れて完全に人工的な環境で野菜を作ることに対する漠然とした嫌悪感・不安感は根強く残る。なんだろう、この感覚は。農作物は大地と水と太陽からの贈り物であるべき、などというありきたりな観念にとらわれているのだろうか。ちょっとこのへんはよく考えてみようと思う。