生命は細部に宿りたまう

生命は細部に宿りたまう――ミクロハビタットの小宇宙
加藤 真
生命は細部に宿りたまう――ミクロハビタットの小宇宙
岩波書店 2010年


名古屋でCOP10が開催されているせいで、生物多様性関連の本が次から次へと出版されている。そうした本に全部目を通せているわけではないけれど、なかなか心に響く本は少ない。定型的な生物多様性の解説から入るにせよ、特定の動植物について情緒的に書き始めてあるにせよ、なにかしっくりこない。生き物を知る者が持つ、生物多様性と呼ばれるものに対する独特の感情を描けていない。


そんな中にあって、この本はその前書きから引き込まれるものがある。「はじめに」の第1節を引用させてもらう。

「樹齢を重ねた木々が林立する原生林、古き神が鎮座する神さびた鎮守の森、神々が来訪する御嶽(うたき)の森。神聖な気配が満ちているそれらの森に入ると、太い幹の中や、高い枝の上、深い落葉の中など、そこここに神が隠れているのではないかという感覚にとらわれる。このような感覚は、照葉樹林におおわれたこの列島の住人に特有のものかもしれない。それでは、星霜を経たそのような森にだけ残されているものとはなんなのだろうか。禁伐の戒を破ると、その土地の歴史とともに時を刻んできた生物たちは消え、古き神も離散してしまう。神までもち出して象徴的に語られてきた、守るべき神聖なものとはきっと、生物多様性に象徴される、生物が共存する世界の永遠性なのであろう。」(はじめに より)

この本に出てくる生きものの名前を、知っているという読者は少ないだろう。ほとんどの場合、名前どころかその存在も知らないだろう。だがそれでいい。まったく見知らぬ小さな存在がミクロな場所に生きていることを知り、その膨大な積み重ねの総体が生物多様性と呼ばれるものだと理解するとき、著者が自然に対して感じる畏敬の念の一端が垣間見えるだろう。と同時に、そこかしこで進む破壊、とくに辺野古の海を埋め立てようとする行為に対する、著者の押し殺した激しい怒りを感じ取ることができるだろう。

前著「日本の渚―失われゆく海辺の自然 」(岩波新書 1999年)とともに、自然の豊かさと奥深さに目を開かせてくれる、すばらしい1冊だと思う。