経済学は温暖化を解決できるか

経済学は温暖化を解決できるか (平凡社新書)

経済学は温暖化を解決できるか (平凡社新書)

1月に環境講演会で話をしていただいた山本氏の最新著書。経済学の基本的な考え方をできるだけわかりやすく説明しながら、それを使って温暖化に関係する政策の有効性を評価して見せた本である。

経済学の初心者向けなので、勉強になった。経済学なんて勉強したことないし。勉強になったとはいうものの、需要供給曲線の図の読み解き方にはついていけなかった。本気で取り組めばわからないことはないのだろうと思うけど、とてもわかるための努力をしようと思えなかった。たぶん経済学者はああいうものの読み方に慣れきっていて、すぐわかるはず、と思うのだろうが、わかりません。


勉強になったけど腑に落ちなかったのは、第2章で紹介される「割引率」と「現在価値」だ。今手元にあるお金は、将来は利息がついてもっと額が大きくなる。その逆で、未来の被害額は、現在の価値に換算すると小さくなる。その減り方を決めるのが割引率だ。温暖化の被害はずっと先で起きるものだから、現在の価値にすると必ず想定被害額よりかなり小さくされてしまう。温暖化の対策は、今やってもその効果はずっと先でしか現れない。そのため、費用対効果は、現在価値で考えるとどうしても悪くなる。今すぐに効果の上がる他の課題よりどうしても優先度が低くなることになる。

これが経済学の唯一の考え方だとしたら、経済学は温暖化を解決できないだろう。温暖化対策の効果が現れるのに時間がかかるのはこの先も変わらないし、温暖化の被害額やそれが起こる確率について確固たる予測は不可能だからだ。ひとつひとつの「被害」を特定することも困難だ。将来起きることの傾向は予測できても、今現にどれだけの被害が起きているかを定量するのはムリだと思う。したがって、被害はいつまでたっても常に先の話として、割り引かれる運命にあるのではないか。

今起きている被害を定量できないのはおかしいではないか、という人もいるだろう。しかし、今日平年より暖かいのは温暖化のせいか否か、この春いやに寒いのは温暖化が起きていない証拠なのか、というような問いに答えることはできない。だからといって100年先の予測ができないわけではない。こうした状況では、被害が出ていたとしてもそれを特定することはできない。常に先の話にしかならないので、「被害が明らかになってから対策を立てる」といっていては、永遠に先送りになってしまう。


IPCCの報告書と並んで温暖化に取り組む根拠として引用されるスターンレビューでは、通常より非常に小さな割引率を使っていることでこの本でも批判されている。しかし、上のような温暖化被害の特徴を考えると、その小さな割引率には相応の根拠があるように思える。先で起きることは、今も起きていると考えるべきだろう。


そういうわけで、勉強にはなったが、納得はできなかった。もうちょっと勉強した方がいいのだろうな、とは思った。