消費をやめる

そんなつもりはなかったのだが、やはり講演を聴いて学生たちとすごして神経が高ぶっていたのだろうか、朝4:30から目がさえて眠れなくなってしまった。今日はセンター入試の業務でハードな一日だというのに…。

昨日の遠藤氏のメッセージは、ツバルが危ないからなんとかしよう、ということよりも、ツバルでは何にもモノがなくてもみんなあんなに幸せそうに笑顔で暮らしているのに、日本ではなんでこんなに大量のモノに囲まれてそれを買うためにあくせく働いてそれで辛そうな顔をして暮らしているのか、ということだった。そのことに気づけば、生きることへのアプローチが変わってくる。ツバルに行くと、それを実感できるのだ。

遠藤氏は、大学が用意したタクシーチケットを拒み駅から大学まで歩いてきた。用意したミネラルウォーターに手をつけず持参した水筒の水を飲んでいた。そう、そんなものはなくても不自由はないはずなのに、みんなモノを使うことに慣れきっている。そのことに気づく体験を、より多くの人がすべきなのだ。

自販機撤廃を目指す、という遠藤氏からの宿題もそのためのものだ。なくても、そんなにたくさんの苦情はおそらくでないだろう、という予測をされていたが、場所によるだろう。体育施設の方ではかなり抵抗があるかも。しかも、学内で売らなくても、外に行けばコンビニがある。買う場所が移動するだけでは効果は小さい。

授業で一度やってみよう。出席者全員がいったいその日1日で何本のペットボトルを消費しているか。そこにつぎこまれているエネルギーの量、排出される二酸化炭素の量。それを、少し意識して我慢したりマイボトルを持参したりすることで、どこまで減らせるか。減らしたことにどの程度の苦痛が伴うか。きっと、大して苦労しなくても減らせるんだ、と気づいてくれる者が半数以上いるだろう。そこから始めたい。

世の中は、もっと不便でいいはずだ。