社会的ジレンマ

社会的ジレンマ
山岸俊男著『社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』(PHP新書 2000年)読了。こういう分野の本は初めて読んだが、けっこうおもしろく読めたし役に立ちそう。
環境問題に対処するためになにをすべきかわかっていても、自分ひとりがんばっても効果はないし、何もしないやつがたくさんいるのはわかっているから、政府がもっともっと厳しく取り締まりでもしない限り、どうやっても解決は無理だ、ということを言う学生は多い。合理的に考えれば、利他主義者が利己主義者に一方的に搾取されて損をするのは当然であり、利他的な行動が広がるはずはないと直感的に読み取っている。それに対抗する議論を、この本は与えてくれる。
人間の行動は必ずしも合理的ではない。実験してみると、合理的に考えれば協力しない方がトクをする状況でも、「みんながするなら」と協力してしまう傾向がある。これまでそのような行動は状況を読み違えたためのまちがいだとされてきたが、実はその傾向こそヒトが獲得した進化の産物である、という進化心理学の考え方だ。そして、じつは合理的な判断をする集団より、「みんながするなら」という感情に基づいた行動をする集団の方が、より多くの利益を得ることができることがある、という。この辺、十分に理解し切れていないけれど、進化を研究する者としてもじつにおもしろいと思う。
だから、合理的には解決不能に見える社会的ジレンマでも、協力的に行動する者の数がある閾値を超えると自動的に解決へと進むことがあり、その閾値を超えるためのゆるやかなインセンティブさえ作ればいいのだという。これこそ、上述の学生のあきらめに対するひとつの答えになる。受講者が将来に希望の持てる授業をするなら、この説は欠かせないだろう。
一方で、暗い考えもよぎる。この説によれば、一度多くの協力的行動者を得て解決した問題でも、状況が悪化して協力者の数が減り閾値を下回ると、今度は全面非協力になるまで悪化が止まらない、ということでもあるのだ。つまり安定平衡解が大多数協力状態と大多数非協力状態の両極にあり、中間状態は不安定なのだ。昨今のいろんな虚偽・不正事件の多発を見ていると、閾値を下回る方向に向かっている(とうの昔に下回っているのかもしれないが)ような気がしてならない。